こんにちは!バリスタさぁやんです。
前回は、「スペシャルティコーヒーとオーガニックコーヒーについて」をお話しました。
※前回の記事はこちら
今回は、フェアトレード認証について、お話していきます。
きゃろっとでは、お客様により安心したものをお届けするには「認証」で選ぶよりも、「品質」で選んだほうが信頼できると考えています。
このため、「オーガニック認証がついているから」という理由だけでは、商品をご紹介していないことをお伝えしましたね。
フェアトレード認証についても、「認証がついているから」という理由で選ぶということはしていません。
では、詳しくお話をしていきましょう。
フェアトレード認証とスペシャルティコーヒー
まず、フェアトレード認証とは、開発途上国の作物や製品を適正な価格で取引し、生産者の生活をサポートする認証です。
日本では、ここ数年で注目されるようになってきましたが、欧米では、ごく当たり前に日常に溶け込んでいると聞きます。
さて、フェアトレードの話をする前に、ちょっと個人的なお話をします。
実は、私は2年間アフリカへボランティア活動をしていました。
自身も国際協力に興味があり、フェアトレードについても詳しくはないものの、認知はしてきていました。
そんな中、このスペシャルティコーヒーの仕組みを聞いた際、鳥肌が立つほどの衝撃でした。
世界では、このような取引がされているものがあると知らなったのです。
スペシャルティコーヒーのもともとの考え方が、「生産国から消費国にいたるコーヒー産業全体の永続的発展」です。
「ずっと作り続けられて、ずっと飲み続けられること」ということです。
そのために、生産現場では、
①生産し続けられる豊かな土地であること
②収入が安定し、安心した生活を送れること
この2つが重要になってきます。
スペシャルティコーヒーが生まれる以前は、コーヒーはニューヨーク市場により全て取引価格が決まっていました。
良いコーヒーを栽培しても、市場で決められた価格で、安く取引されていたのです。
それを打開するべく「高品質なコーヒーには、それ見合った適正な価格で取引をしよう」という仕組みがスペシャルティコーヒーなんです。
産地と消費国が、直接取引のうな形態で取引できるようになりました。
そのため、 品質の良いコーヒーを安く買い叩こうとすれば、適正な価格で買ってくれる他の方に買い取られてしまいます。
必然的に、丁寧に時間と手間をかけられたコーヒーは、適正な価格で取引されるようになったのです。
フェアトレード認証の目標も「発展途上国の製品を適正な価格で取引する仕組み」です。
認証を得ることで、マークが付けられ、価格が保証されます。
また、品質向上という面で、フェアトレードの目標の一つに掲げられています。
しかし、コーヒーの品質面でいうと、まだまだ明確な国際基準が設けられているわけではなく「フェアトレードコーヒー=高品質」とは、言い難いと感じています。
コーヒー生産先進国のコスタリカでは…
2019年に、きゃろっとにコスタリカからスペシャルティコーヒー生産者5名が遊びに来てくれました。
その際に、ドンマヨマイクロミルのオーナーのパブロさんは、こう話してくれました。
※パブロさんが来日した際、インタビューをさせていただきました。インタビューの様子はこちら
スペシャルティコーヒーが生まれる前は、全て価格が決まっていた。
どんなに努力しても、その努力は認められない。
市場が下がれば、僕たちが作ったコーヒーの価格も大きく下がるんだ。
明日の生活がどうなるか、分からない。
コーヒー生産者の生活はいつも不安定だったんだ。
フェアトレード認証も、一応、決められた価格で取引はされる。
それは、品質に見合った価格ではないんだ。
決まった価格が保証されているっていうのは、すごいことだけど、あくまでも「設定された価格」での取引なんだ。
でも、スペシャルティコーヒーが、僕たちの生活を変えた。
僕たちの作ったコーヒーを自分で価格を決められる。
品質に見合った価格を、自分たちで交渉して決めることができるんだ。
僕の作ったコーヒーを信頼してくれる人が、その価格でコーヒーを買ってくれる。
スペシャルティコーヒーは信頼だけで成り立っているんだ。
この話を聞き、10年前にスペシャルティコーヒーを知ったときと同じような衝撃が、走りました。
「本当に、生産者の方がそう思っていた。」
スペシャルティコーヒーの仕組みに感激したことが、実際に生産者も同じように感じていたのです。
スペシャルティコーヒーは「認証」マークがなくても、「品質」と「信頼」で成り立っています。
それは、コーヒーが「世界でずっと飲み続けられるため」に必要なことだからです。
コスタリカでは農園主の保証だけではなく、季節労働で収穫に来るピッカーさんに対しても、国をあげて保証するように呼び掛けています。
また、教育面についても国をあげて力を注ぎ、大きな農園では子供の教育施設を併設したり、ピッカーさんへの教育費や生活費を保証し、農園ごとで公開しています。
スペシャルティコーヒーは、その仕組みそのものがフェアなビジネスで成り立っています。
私自身は「フェアトレード」という言葉そのものを必要としなくなることが、フェアな世界の最終的な目標だと考えています。
だからこそ、初めてスペシャルティコーヒーの仕組みを聞いたときに、これが世界が丸くなるための一つだ!と強く感じたのです。
私たちコーヒー屋の役目とは?
私たちが焙煎し、お客様に提供するコーヒーは、世界中で大切に作られたコーヒーです。
だからこそ、私たちは、このコーヒーの魅力を最大限に生かした焙煎をする必要があると考えています。
近年、スペシャルティコーヒーが広く知れ渡るようになったと同時に、「コーヒーは品質が良ければ、どう焼いてもおいしい」という言葉を目にすることもあります。
ひと昔前、高品質のコーヒーを手に入れることが難しかった時代の焙煎士は、焙煎が味づくりの勝負でした。
だからこそ、焙煎を研究しなければ、美味しいコーヒーを提供することが難しかったのだと思います。
確かに、品質が良いコーヒーは、なんとなく焼いても、個性は感じることができます。
しかし、フレーバーだけを生かした超浅煎りのコーヒーだと、飲んだときのインパクトはあっても、のどがイガイガしたり、頭が痛くなったりします。
むやみに深煎りにすると、苦くなってしまい、品質のコーヒーの良さを生かしきれません。
「スペシャルティコーヒーって酸が強すぎて苦手なんだよね」
「一口飲むのはいいけど、毎日飲むにはちょっと飲みにくいよね」
そんな言葉を聞くと、とてつもなく残念な気持ちになります。
コーヒーは、焙煎によって大きく味が変わります。
せっかく、研究をしつくされて栽培されたコーヒーだからこそ、素材の美味しさのまま焙煎することが、私たちの責任です。
だから、「毎日飲みたい」と思えるような味づくりをする必要があると考えています。
柔らかな甘さがあり、それぞれの個性を最大限に生かし、胃や喉の不快感の残らない透明感のあるコーヒー。
それができて、はじめて「コーヒーがずっと飲み続けられる」というサイクルが回ります。
生産者の生活を守るためにも、消費者が美味しいコーヒーを飲み続けるためにも、私たちが真摯にコーヒーと向き合い続ける必要があります。
だから、私たちは、焙煎を研究し、焙煎機を研究してきました。
そして、新鮮なままお客様にお届けする。
美味しく飲んでいただく方法をお伝えする。
農園の魅力をお知らせする。
このすべてが、コーヒーの持続的な発展のために、私たちコーヒー屋ができる役割だと考えています。
では、安いコーヒーは悪なのか?
ちょっと話がそれてしまいますが、最後にひとつだけ。
スペシャルティコーヒーと対局にあるとも言われる、コモディティコーヒー。
一般流通品として、スーパーやコンビニで買えるコーヒーです。
市場で決められた取引をされています。
私がボランティアをしていた、アフリカ ウガンダ。
2年間、現地の学校で教員を務め、村落部でウガンダの先生たちと教員住宅の一角で暮らしを共にしていました。
学校の横には、コーヒーの木が並び、村の人々がコーヒーを栽培していました。
彼らが作るコーヒーは、インスタントコーヒーや缶コーヒーの原料となるようなコーヒー。
価格は、かなりの低価格で取引をされています。
当時、私は隣国ルワンダのコーヒー農園へ視察に行ったことがあります。
そこでは、素晴らしいスペシャルティコーヒーが育てられていました。
視察後、村でコーヒーを育てる友人に、ルワンダのコーヒー農園の話をしました。
友人が作るコーヒーは、ルワンダで見た農園からは程遠い、生産方法。
栽培も精製方法も、一言でいうと「適当」。
これが、品質の差となるんだなというのが、明らかなコーヒーです。
「絶対に、良いコーヒーを作ったほうがいいよ!素晴らしいコーヒーを栽培すれば、それに見合った対価が手に入って、生活が変わるかもしれないんだよ」と。
すると、友人は大笑い。
「ありがとう、でもね、私は今の生活でハッピーなのよ。 忙しい生活をしてお金をたくさんもらうより、庭のマンゴーやバナナを食べて、実ったコーヒーを販売してお小遣いにする。 それが、私にとって幸せなんだよ」
なんだか、このとき、とても恥ずかしくなりました。
自分の中で「貧しい=不幸」と思い込んでいたのだと思います。
必ずしも経済的な豊かさが人にとって幸せではないということ。
幸せの価値観は、人によって違うということ。
それは、日本であろうとアフリカであろうと同じだということを改めて痛感しました。
教育を受けられないこと、将来への選択が少ないこと。
それらを問題じゃないとは思っていません。
ですが「途上国に住む人たちはかわいそうだ」「搾取をされて、不幸な生活をしている」と一方的に思うのは、違うのかな、失礼だなと考えるように思いました。
現に、裸足で生活する村の子供たちの屈託のない笑顔、彼らの優しさに何度も触れ、生活を共にしてきました。
日本の学校でのいじめや虐待のニュースを見るたびに、彼らの笑顔を思い出します。
スペシャルティコーヒーを作り、コーヒーづくりに誇りを持ち生活する方々。
庭先で採れたコーヒーを自分の収入の足しにして生活する方々。
どちらが良い悪いで、判断できるものではないのかもしれない、そう、考えています。
スペシャルティコーヒーの誕生によって間違いなく、生産者の人生の選択の幅が増えました。
生産者が消費国の私たちと、対等に話をできる場が設けられたのだと思っています。
でも、日本でだって、安くてうまいを作る人や高くてこだわりのあるものを作る人がいるように、世界だって全部同じである必要はないし、答えは1つじゃないと考えています。
もちろん、私が暮らしたのはアフリカでもウガンダだけ。
これが全てではないのですが、こんな一面もあるということを、スペシャルティコーヒーを販売するからこそ、知ってもらいたいことでもあります。
話は大きくそれてしまいましたが、「認証」だけでは見えない世界があるのかもしれません。