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なぜ小さな町のコーヒー屋がここまで支持されるのか?その秘密を探る【第5回】

PR※この記事は2018/10/24にライターの松本隆さんに取材を受け作成していただいたインタビューを転用しています

住民幸福度を上げる。地域活動とビジネスとの関係とは

SNSの普及により、企業の活動は良くも悪くもすぐに拡散されていく。

その流れに便乗し、多くの企業はボランティアや地域貢献、社会貢献を積極的に行い自社のイメージアップをはかっている。

鶏が先か、卵が先か。

地域貢献を行うこと自体に何ら否定的な感情はない。活動により結果、救われる人がいるのなら実りのある行動と言える。ただ、やはりユーザーが知りたいのは、企業の想いではないだろうか。

どうして、地域貢献を行うのか。そこに共感できた時に、企業の行動を理解し、応援したい気持ちになる。

珈琲きゃろっとでは地域貢献を積極的に行っている。花のまちとして有名な恵庭市恵み野。この「花のまち」の仕掛人は、実はこの珈琲きゃろっとの内倉社長の母親である。

親子に渡って「まちづくり」にかける思いは強い。活動は多岐にわたるが、今回は商店会としての活動を中心に話を伺った。

珈琲きゃろっとの内倉さんに話を伺いました

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■人物紹介
内倉大輔 (株)きゃろっと代表取締役社長
国際的なコーヒー鑑定士であるカッピングジャッジ 、Qグレーダーの資格保有
SCAJローストマスターズチャンピオンシップ優勝
(株)Eストアー主催 ネットショップ大賞ドリンク部門1位
エスプレッソチャンピオンシップ1位など数々の受賞歴を持つ

地域の子供が将来住みたいと思えるような街にしたい。そのために何ができるか

___内倉さんは地域貢献にも力を入れていますよね。地元の恵み野商店会の役員もされています。たくさんの新聞取材も受けていらっしゃる。ただ、珈琲きゃろっとは通販が主の会社です。内倉さんにとって地域貢献とはどのような位置づけなのでしょうか?

まず、大前提として「地域に貢献している」っていう概念は僕にはまるっきりないです(笑)そんな崇高な想いはありません。

この街で商売をさせてもらっているから、という想いは当然あります。

でも、通販が主だからとかは、全然関係なくて、単純に自分の住んでいる街だから、もっと良くしたい。もっと楽しい街にしたいっていうだけですね。

逆を言うと「この街が廃れてしまうのは嫌だ」という思いも強いです。

だから、今恵み野に住んでいる子供たちが、将来大人になった時に恵み野に住みたいと思ってもらえるような街にしたい。そう思っています。

___なるほど。ただ、客観的に見れば熱心に地域貢献をしています。不思議なのは「珈琲きゃろっと」としてではなく「恵み野商店会」として動くことが多い。企業イメージのアップには遠回りなのでは?

その点についても、そもそもイメージアップのためにしているわけではないので。それから、僕が所属しているのは恵み野商店会ですから、恵み野商店会員として動くのは当たり前です。

シンプルに「自分が育った街で一緒に商売している仲間と、何か楽しいことをしたい」それだけです。

だから、「珈琲きゃろっと」として活動することで見返りを求めるとか、そういう発想はありませんね。

結果的に、地元のお客様に支持されるようになったということはあります。でも、そもそもの目的は、そこにはないです。質問がおかしいですよ(笑)

___では、商店街の活動をするようになったのには、何かきっかけがあったのですか?

今から10年ほど前、自分の商売が軌道に乗ってきたころ、同じ商店街の中に「ピーコック」というパン屋さんがあるのですが、店主の小笠原さんから誘われたのがきっかけですね。

「内倉さん、商売も軌道にのってきたしょ?そろそろ一緒に商店街活動もやってみようか」って。

最初は軽い気持ちで「いいですよー」と返事をしたんです。僕も子供のころから恵み野に住んでいたので、この街が好きだったし、何か役に立てればいいかな。位の。あまり深くは考えていませんでした。

当時の商店街は高齢化が進んでいて、役員13人のうち、ほとんどが60代、70代の方たちばかりでした。小笠原さんは、当時40代後半だったのですが、僕の次に若いのが小笠原さん、という感じで。

当時、恵み野商店街が主催しているイベントは、地元の夏祭りと、冬まつり。この2つだけでした。僕が、地域活動に興味を持ったのは夏祭りの実行委員会に初めて参加したときです。

会議の中で「もう、みんな年だし、人手が足りないから、今年はヨーヨー釣りは無くそうか」という話し合いをしていたんです。

___子供に人気があるものがどんどん削られてしまった、と

衝撃でした。

「ヨーヨー釣りがない夏祭り!?子供たちは何をして遊べばいいんだろう?」と思いましたね。

ですが、高齢化が進んでいる中で、当時の役員さんたちの気持ちもわかったんです。体力的にもちょっと厳しくなってきて、なにせ若い人がいないんですから。

いつでも、夏祭りを辞めることはできたわけです。

だからむしろ、今まで辞めずに、この夏祭りをずっと続けてきてくれたことがありがたいな。と。でもどうせやるなら、もっとワクワクするような祭りにしたいな。思ったんです。

とりあえず、当時の僕ができることは、この夏祭りで何か新しいイベントをすることでした。マンパワーが無いから、自分一人でできるけど、多くの子供たちが参加できるイベントを作りたいなと。

どうせなら、商店街のお店を知らない子供たちにも、夏祭りというイベントを通して、店主の人柄を知ってもらえたら方法はないかな。と考え、リアル探偵ゲームというイベントを考えました。

子供が楽しめるイベントを企画。来場者数は5倍以上に

___リアル脱出ゲームみたいなものですか?

そうですね。当時リアル脱出ゲームっていう言葉はなかったのですが、僕が小学生の頃、担任の先生が、恵み野の街全体を使って、宝さがしゲームを企画してくれたんです。

放課後になると、友達同士でチームを組んで、先生からもらった暗号をもとに恵み野じゅうで宝を探すっていうゲームです。 1週間くらいかけて街の中を探索しました。

あのゲームを夏祭りでもできないかなって考えたんです。難易度は高く設定しました。参加者の5%位が完全正解できるくらいの。

そのゲームの中で、祭り会場にいる店主と触れ合わないと達成できないミッションを入れる。そうすることで子供たちやその親と、店主との間で交流が生まれます。

___子供たちには好評でしたか?

めちゃめちゃ盛り上がりましたね。

僕には子供が3人いて、当然僕の子供たちも夏まつりで、そのゲームに参加するのですが、夢中になって遊んでいる様子は見ていて嬉しいですよね。

今でもこのゲームは毎年行っていて、映像を使ったり、年々手が込んできました。毎年夏まつりが近づくと「今年はどんな謎解きにしようかな」とワクワクしながら作っています。

夏祭りの来場者も当時の5倍以上に増えました。

___夏祭りの参加をきっかけに、内倉さんの中で地域活動に関する意識が変わってきたということですね。でも、ひとりで全てをやるのは、大変だったんじゃないですか。

大変とは思っていませんでしたが、もっと若い人たちの力が必要だな。とは思いました。そこで、小笠原さんと相談して、役員の若返りを行ったんです。

役員の若返りを果たし、よりアクティブに

___当時の役員から反発はなかったんですか

全くないです。というか、むしろ大賛成してくれました。恵み野商店街の凄いところは、年齢に関係なく若い店主たちの意見を聞いてくれるところです。

役員を始めて2年目の僕の意見をちゃんと聞いてくれたんです。誰も威張らないし、若い人の意見を蹴とばさない。「それで街が良くなるならやった方がいいよ」と言ってくれました。

小笠原さんの人望も大きかったと思います。それまで、ほとんどの雑務を一人でやってきたし、誰よりもこの街を良くしたいと思っている人ですから。

___どうやって役員の若返りを果たしたんですか?

小笠原さんと一緒に、若い経営者のいる店舗を1件1件回って説得しました。これからこの街をもっと良くしていくために、力を貸してほしいって。

幸い、恵み野には僕や小笠原さんの想いに共感してくれる若い店主が多かったため役員の若返りはスムーズに進みました。

平均年齢が30歳以上若くなったことで、いろんなことができるようになりました。様々なイベントを考えて、それを形にしていきました。 商店会の会議はいつも楽しいですよ。

当時、異業種と付き合うことが少なかった自分にとって、いろんな業種の人たちと話をするのは楽しかったですね。自分の住んでいる地域に友達がたくさんできるというのは、自分の人生にとってかけがえのない財産になります。

現在、恵み野では、年間9回のイベントを商店街で行っています。春から秋にかけては、ほぼ毎月、何かしらのイベントがあるような状態ですね。

商店会の役割は「地域の人の幸福度を上げる」こと

___内倉さんにとって商店街というのは、地域にとってどのような役割があると思っていますか?

僕らの商店会の役割っていうのは「地域の人の幸福度を上げる」ってことだと思っています。イベントに参加することで、地域の人たちは楽しんでくれるわけです。商売と一緒で、人に喜んでもらうことっていうのは単純にやっぱりうれしいんですよね。

そして、こういった経験っていうのは、子供たちの中で「街に対する愛着」にもつながってくると思います。

「口では説明できないけど、とにかくこの街が好き!」っていう感覚は僕はとても大事だと思っていて、子供たちが大きくなって結婚したときに「自分の子供たちにも、あんな体験をさせてあげたい」と思ってもらえればうれしいですね。

「住んでいる街」じゃなくて「自分の街」っていう感覚ですかね。

___結果、住む場所として故郷である恵み野を選ぶということですね

恵み野も高齢化が進んできていて、これから空き家対策が重要になってくると思います。でも、空き家が増えてから対策を練ろうとしたら、途方もない労力が必要です。

だから、そうなる前に手を打つ必要があります。つまり住んでいる人たちが循環するような仕組みが必要です。商店街にフォーカスすると、空き店舗が循環するするような仕組みが必要なんです。

___それが実を結び、続々と新規出店がある商店会になり、新聞にも取り上げられる躍進に繋がっているんですね

もちろん、色々な要素で新規の出店を決めてくれているとは思います。ただ、その中の一因として「街の魅力」は間違いなく存在します。

そのためには「この街に住みたい」「この街で商売したい」って思われるようなブランドを作る必要がありますよね。

そう考えたときに、商店街っていう存在は、街のブランド形成にとても大きな影響力を持っているんです。そのひとつとして、魅力あるお店を作るってことは、地域住民に対しての幸福感を提供するための一つの手段です。

魅力あるお店っていうのは、文字通り、良いお店を作って、住民にメリットを提供するってことが一つ。もうひとつは「街にマッチさせる」ということも大事な要素だと考えています。

恵み野商店街は、歩道が広く設計されていて、各店舗前の歩道には、恵庭市が保有する約30㎡位の植樹帯があります。

恵み野は花の街ですから、店舗外観だけじゃなくて、店舗前の恵庭市が所有している植樹帯も自分の店と捉えて、花壇の手入れをする。散歩したくなるような景観を形成すること。それも街の魅力のひとつだからです。

2014年~2016年には、国や恵庭市や民間団体からの補助金を活用して植樹帯を改修しました。その際に、補助金で賄えない分の費用約1/3は、商店主が自己負担しました。

___恵庭市の土地の改修費用を店舗が自己負担したということですか?反発はなかったのでしょうか?
「恵庭市の土地」って捉えてしまうとお金は出しにくい。でも、店舗前にこんなに大きな植樹帯があるっていうのは、上手く活用すれば店にとって大きな武器になります。

商店主には、僕と、小笠原さんと、僕の母が説明会を何度も開催して、改修することでどんなメリットがあるのか?とか、これからの街のビジョンを説明しました。

また、何度も店主たちで話合いも行いました。この事業は2年間にわたって行われて、当初は店主間に温度差もあったのですが、素晴らしい花壇が完成するのを目の当たりにすることで、事業に参加する店主も増えてきました。

この事業では恵庭市にも、本当にお世話になりました。柔軟な考えができる行政じゃないと、こんなことは実現できません。僕らの話を聞いて、納得してくれて、その実現に向けて、本当に尽力してくれました。

___住民の幸福度を上げるために商店街ができることは、良い店づくり。そして、街にマッチした景観を築くことというのが、大事なことだということですね。そのほかに商店街として、住民の幸福度を上げるために何が必要と考えていますか?
もうひとつが、コミュニティですね。

イベントを通して、忘れられない体験だったり、地域の人とのコミュニティを築くことです。簡単に言うと「イベントを通して、住んでいる街に顔見知りをたくさんつくる」ってことです。
___コミュニティのことを重要視するようになったのには何かきっかけがあったのですか?

僕、普段は全くスーツを着ないんですが、仕事でスーツを着て東京に行ったことがあるんです。東京から帰ってきて、恵み野駅から家まで歩いていると、家にたどり着くまでに、色んな人に声をかけられるわけです。

「これほど、スーツが似合わない人はいないね」とか、「就職活動でも始めたのかい?」とか。家まで歩いて5分なのに、スーツを着て歩いているだけど20分くらいかかるという(笑)

ホントくだらない会話なんですが、その時に「あぁ、この感じっていいよなぁ」って思ったんです。幸せなことだなと。

こうやって道を歩いているだけで、何気ない会話をする人が、地域に沢山いるってことは、すごい財産だなと。その時に、コミュニティの大切さを感じました。

___人と人とのつながりにある幸せを実感したんですね。

そうですね。実は、恵み野商店街で行うイベントでは「来場者の数を増やすことそのもの」には、価値を置いていません。

例えば、イベントの参加者を1,000人増やしたい場合。市外から1,000人の来場者を引っ張ってくるよりも、恵庭市内に住んでいる住民の参加率を上げることで1,000人来場者を増やすことに価値をおいています。

なぜかっていうと、僕らのイベントは「小学生の子供一人でも安心して遊ばせられる」というのが一つの大きな価値基準だからです。

だから、珍しくて派手なイベントをするのではなくて、近くに住んでいる人が散歩がてら行ってみたくなる、程度のイベントにすることを大切にしています。

もうひとつ、ボランティアのイベントばかりだと、運営する商店主も疲弊してしまいます。だから、簡単にできて、なおかつそのイベントが自分の商売につながるような仕組みを取り入れながらやっていくのが一番だと考えています。じゃないと続かない。

恵み野地区は1万2千人の小さな街です。だから年中、たくさんのイベントを行っていて、その参加者ほとんどが市内の人たちだと、自然に顔見知りになっていきます。

地域コミュニティがちゃんと機能していれば「地域の大人たちが、近所の子供を見守る」ということが可能になります。だから、安心して子供遊ばせることができる。

地域に知り合いがたくさんいて、安心して子供を育てられる街というのは、大きな価値がありますよね。これも、住民の幸福度に直結すると思うんです。僕らは魅力ある店づくりをして、そこから得た利益の一部を使用して、イベントという形で地域に還元していく。

そうすることで、地域コミュニティが築かれて、住民や子供たちにも楽しい思い出が残る。子供たちが大人になれば、また恵み野に帰ってくる。

住民の循環が行われれば、空き家はなくなり、人口は保たれます。人口が保たれるということは、見込み客がいるということなので、商売が安定し、新規の出店も循環します。

そうやって、楽しい地域コミュニティが循環していくといいなーと考えています。

シリーズで五回に分けて紹介してきた珈琲きゃろっと。

最後の今回ではインタビューの中で一度も「コーヒー」というワードが出てこなかった。そのあたりにも、コーヒーを売るために行う地域貢献ではないことが、にじみ出ているように思う。

「関わる人皆がハッピーになること」これを理想とする同社。
・世界で一台の焙煎機を共につくった職人たち。
・遠く海外で丹精込めてコーヒー豆を育てる生産者。
・ここのコーヒーでなきゃ飲めないと言い、愛してやまないユーザー。
・企業の意思に賛同し、楽しそうに働くスタッフ。
・同じ地域を愛し、支え合うの地元の人々。

上記のすべてに対して、企業として何が出来るのか同じ気持ちで、同じ目線で考える。

そんな「思いやり」を基にした企業姿勢こそ小さな町のコーヒー屋の繁盛の秘密なのである。

■筆者 松本隆
北海道遠軽町出身
食品業界に10年以上勤め退社。
その後、九州・沖縄の水産系の市場、工場や酒蔵を巡り、
福岡、広島、京都、奈良、大阪、新潟と北上。
北海道の食の流通や小売り、飲食店にコンサルタントとして関わる。

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